愛という言葉を辞書で調べると
@親、兄弟のいつくしみあう心。広く人間や生物に対する思いやり。
A男女間の相手を慕う情。恋。
Bかわいがること。大切にすること。
C好むこと。愛でること。
D愛敬。愛想。
Eおしむこと
F愛欲。愛着。敬愛。強い欲望。
Gキリスト教で、神が自らを犠牲にして人間をあまねくいつくしむこと。
(広辞苑)
となっている。他の多くの辞書もほぼ同じ内容である。人の人格形成に最も大切だと私が述べてきた、子どもが「認められる」「信頼される」という意味は、「愛」という言葉にはない。愛と言う言葉は、主にいつくしむ、大事にするという意味で使われているが、これを親から子どもに与えても、子どもは「認められたい」「信頼されたい」のであるから、親子の気持ちの間ですれ違いがおきてしまう。親が子どもをいくら愛しても、子どもの「認められたい」「信頼されたい」気持ちを全く満足させられないのである。自分の親に愛されることと認められること、信頼されることは全く違うことなのである。
子どもにとって愛が最も重要という間違った考えは、世界中に拡がり浸透している。子どもにとって最も大切なことは、子どもが「認められる」「信頼される」感覚であることを世界中に広めたいものである。
子どもの時に「認められない」感覚を持って成人した者は、ストレス性の疾患、人格障害、不安障害、薬物中毒、摂食障害、適応障害などの精神的な問題を抱えることがしばしばある。生きていてもしょうがない気持ちから自殺も多くおこっている。
親に対する復讐の心から、自分の親に直接危害を加えることもあるが、親を困らせて間接的に復讐するという方法をとる場合もある。
先日奈良県で放火殺人事件がおきた。中学生の子が継母と弟、妹を放火して焼き殺した事件である。この中学生は、父親からいつも「勉強しろ」と強制されていた。父親を恨んでいたが、父親に直接復讐するのではなく、父親が大切にしているものを壊し、子どもである自分が犯人になることで父親を困らせ復讐したのである。
附属池田小に男が乱入して児童8人を殺害し、多くの怪我人を出した事件があった。その犯人は、小さい頃から親に自分が認められず、常に不満を持っていた。そして、多くの人といさかいをおこし、暴力事件をおこし、成人してからは何回も自殺企図をおこしていた。こんな自分にした親に復讐したいと思っていたが、ふと見ると幸せそうな子ども達がいた。彼はその幸せそうな子ども達を殺し傷つける犯人になることで、親を困らせ復讐しようとしたのである。復讐が終わったので、もうその後生きる意味がなくなり、死刑の判決がでたのに控訴もしなかったのだ。
このように見てみると事件の真相が見えてくる。子ども達が事件を犯す原因は色々いわれているが、実は、自分が「認められない」感覚から生じるのであって、他のことは二次的なものといえる。この考え方で人の思考や行動を見ると人の本質が見えてくる。